選択の科学 を読んで

選択の科学

選択の科学

先日感想に書いた『夜と霧』の中でも大切なテーマだった、「選択」という行為。本書では、その選択という行為を、心理学的、社会学的、倫理学的側面から検討した書だ。自己決定が過保護に推奨され、お店を覗けば、過分な選択肢が溢れ帰っている今日において、選択という行為について考えてみることは、社会や自分の人生を落ち着いて見直すことにも繋がる。

『夜と霧』では、アウシュビッツのような極限状況に置いても、人間は、自らの人間性や「その生を生きる」という覚悟をすることができるということがわかった。

本書において「選択」は、選択する人が所属する社会の価値観(道徳観や人生観)や、認識上の思い込み(自己認識や偏見、バイアスなど)、認識下の刷り込み(五感や印象、広告操作)により規定され、さらに人の認識能力上の限界によって選択肢を処理することができる許容範囲が認められる。また、選択するという行為には責任が伴い、ときには人生の大きな負担となる。逆に、『夜と霧』のように、未来を切り開いていくための力強い武器ともなる。

自分の好きなように選択できるという意識は強い欲望によって支えられており、自分が選択できないという無力感は、大きなストレスを生み、寿命を縮めるほどのものである。それは、実際に選択できるかどうかに関係なく、自分が選択できるという認識があれば、充たされる欲求である。これは、『夜と霧』の感想においても取り上げた。

本書では、上記のように選択を様々な角度から検証することで、「選択肢がある」ということは良いこととはかぎらないということ。「選択肢の数が多い」ということも良いこととは言い切れないということ。また、「全てに自分が選択する」ということも絶対的に良いということはいいきれないという、いわゆる一般常識的な思い込みに疑義を唱えている。

この選択肢が溢れた世界で、常に選択し続ける人生を歩む我々にとって、選択というもの自体を知ることは非常に有意義だ。本書で明らかになったように、無意識に選択を絶対的な価値ととらえていくと、意図せざる不利益を被る可能性もあるのだ。度重なる選択の中、ときには、専門家に選択を委ねることが自分を守ることにつながったり、大きな運命や偶然というものへ目を向けることも必要になるかもしれない。

選択肢があるという誘惑に振り回されないように、もっと選択という価値に距離をおいて、自分を大切に、そして自分や事実と真剣に向き合いながら、選択を行っていくことが求められる。自分という存在自体も、常に自分へ求めるイメージと他者から得られる印象や自分の選択によって、常に塗り替えられ、みずから調整しながら作り上げていくものとされている。

毎日の小さい選択が、自分を作り上げていくといってもいい。自分の望む自分へ、選択を行っていく。小さな自己決定が、自分の人生のコントロール感を生み出し、それは自分の人生の満足感へと繋がる。

また、選択をするとき、改めて、

①それは自分にとってどのような価値があるのか

②その価値は誰が、どのように決めたものなのか。

③その価値は、本当に自分が欲しいものなのか。

④本当に欲しいものは何か。

⑤そのためにすべき選択は何か。

⑥それ以外に選択肢は無いのか。

⑦その選択をするうえで自分以外に有効な答えを出せる人はいないか。

という流れで考えてみたいと思う。

そして、必要の無い選択は、ハックしていきます。

人生、マーケティング、教育、などなど人に関わることがら全てに適用できる、示唆に富む良書でありました。

ちなみに、著者のシーナ・アイエンガー氏は、盲目であり戒律が厳しいシク教徒。その彼女が、幼いうちにアメリカに渡り、選択肢絶対主義国であるその環境への違和感から選択ということを研究するにいたったとのこと。だからこそ生まれた書。なので、本書では、単なる科学的成果の発表におさまらない、彼女の人生そのものを覗き込むような、独特な空気感をもった書でした。

選択の科学

<シーナ・アイエンガー>

Unknown

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夜と霧 を読んで

夜と霧
夜と霧 新版

不屈の名作とされ、人生一度は読むべきとも称される『夜と霧』を読んだ。心理学者であるビクトール・フランクルの書だ。

本著は、第2次大戦中のユダヤ人強制収容所(ユダヤ人以外もいた)に収容された人々の観察を通して、人間とはなにか、生きるということはどういうことかに迫った、残酷でありながらも力強さを持った本である。その魅力は、著者自身、収容された人々の中にあり、文字通り地獄のような日々を送ったからこその生々しい苦しみと、それを心理学者としての冷徹な目で観察しているという2つの相容れない軸が、同居しているからこその緊張感だと思う。

不愉快きわまりない収容所の環境や、飢餓、病気、栄養失調、疲労などでバタバタと死んでいる状況。そのような状況に人を追い込み、さらに精神的・肉体的苦痛をあたえていく管理者たちは、同じ人間とは思えない、いやむしろ人間らしいといえるのかもしれない。詳細は、ぜひ読んでみてほしい。

さて、本著のテーマの一つが、「どんな過酷な状況にあっても、人間として生きるという選択ができる」ということだと思う。

多くの人が、残酷な環境の中から、自分と自分の心を守るため、モラルを失い、全てに無感覚・無関心になっていき、目からは精気が失われ、生きた屍となっていく。そのような人たちは実際に早く死ぬ。ただそのような環境の中でも、心の奥で生きる希望を持ち、環境に屈しず、苦しみを受け止め、生きるという選択をした人がいた。そのような人たちは、しっかりと自分の人生を「生きた」のだ。

そこで、先日読んだ、「選択の科学」にて取り上げられていた<小セネカ>の言葉を思い出した。

「隷属状態が、人間の存在全体におよぶと考えるのは誤りである。人間の大切な部分に、隷属はおよばないのだ。たしかに肉体は主人に隷属し、捕らえられているかもしれないが、精神は独立している。実際、精神はきわめて自由で奔放なため、肉体を閉じこめている監獄でさえ、それを抑え込むことはできないのだ」

肉体的自由がなくとも、人間は精神的に自由でいられる。奴隷制が基本だった世界では、フランクルの到達した価値観は基本的なものだったのかもしれない。しかし、それは、非常に心強い言葉である。どのような環境であっても、自分が自分の人生を生きるという事を選択することができるのだ。

なに不自由の無い生活を送っている人でも自分の生を生きていない人がいる。環境に隷従し、ながれるままに生きている人は多いはず。「選択の科学」によると、野生のアフリカゾウの平均寿命は56歳だが、動物園で生まれたアフリカゾウの寿命は17歳らしい。毎日定期的に餌がでてきて、捕食者に脅かされる必要もない環境であるにも関わらず、動物園の象のほうが、圧倒的に早く死ぬのだ。その原因が、自己決定ができないことによるストレスにあると著者のシーナ・アイエンガーはいう。

自己決定感の欠如は、無気力へとつながり、生きる屍として過ごしたのちに、死に至る。一度、自己決定感の欠如、つまり自分の力ではどうしようもないという心理状態に陥ると、まわりの環境が変化したとしても、それに気がつかず、その無力感という絶望にとらわれ、自ら救われる機会を逃す事になる。死ぬまで。

人の生死をわけるほどの力をもつ自己決定感の有無であるが、実際に人の健康にもっとも影響を及ぼしたのは、実際に自己決定権の大きさではなく、自己決定ができるという認識をもっているかどうからしい。それが、大きな差を生むのである。

たとえ、アウシュビッツのような悲劇的環境に置いても、自らの人生を生き抜くことができる。それは、自分の人生を生きるという選択は、誰も奪うことができないからである。どんなに身体的自由を奪われていたとしても自分の生を生きることができ、苦しみという感覚でさえも生きるということの一部となるのだ。どのような環境も、力も自分の生を奪うことはできない。

自分の生を生きるという選択をすることは、何不自由無い生活を送る多くの人にとって、当然の選択肢と思われており、ないがしろにされがちだと思う。半分、生きる屍のような人生をおくっている人が多くいるのではないか。でも、選択することができる。アウシュビッツを生き抜くような力強い生を、生きることができるのだ。決して環境にながされて、自分を殺してしまわないように、積極的に自分の生を選択すべきだ。それは、心の中のちょっとした違いだけれど、かなり大きな変化をもたらすと思う。自分の人生に対する自己決定感。すべては選択できるのだ。

「そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかで、どのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた」

「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。わたしたちが生きることから何かを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」

「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」

「自分が「なぜ」存在するかをしっているので、ほとんどあらゆる「どのような」にも耐えられるのだ」

本書では、愛する人、希望などが生きるよりどころとなる、「なぜ」存在するのかに答えるうるものとされている。それだけではなく、生きるということでうけるあらゆる義務をひきうけることが生きるということとされる。しかし、自分の人生を生きるという選択をした、という覚悟、決断がその前提にある。それほど、「選択」というものの持つ力はすごい。

夜と霧 新版

<ヴィクトール・E・フランクル>

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暗号解読 下巻 を読んで

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暗号解読 下巻

上巻の感想は、こちら

アルファベットの単文字変換から「エニグマ」まで暗号の歴史を、豊かな物語を用いて、分かりやすく紹介してくれた上巻。

下巻では、ヒエログリフや線文字Bの解読から、暗号に不可欠の「鍵配送」問題の歴史、そして究極形態である量子暗号へ。古代から現代物理学の世界へと物語は進む。

あらゆる技術が、電流をコントロールするような世界から、量子一つをコントロールする世界に向かっているように、暗号化の技術も量子を活用したものが考えられている。人間の単純な認識世界を超えた量子の世界では、観測しようとすると性質が変わってしまうので、解読することは不可能。

最近、東大の工学研究所で量子テレポーテーションが成功したらしいし、電子ひとつの制御で演算や記憶を行う電子トランジスタが開発されたりと、量子力学の世界から技術に応用しはじめるうえで目覚ましい進化が進んでいる。

将来的には、情報伝達において「暗号化」ということ自体必要なくなるかも。ますます見逃せない世界だ。

それにしても、人間の認識からすると意味不明の量子の世界(時空を超えたりする)、意味不明ではあるが、実験ではかなりの正確さが証明されている。その世界を人間が完全に認知する事はできないのかもしれないが、理解する事ができ、それを技術に応用できてしまう。なんとも不思議だ。

暗号解読 下巻

暗号解読 上巻

今回の人物は、シュレーディンガー。本書にはほとんどでてきませんが、「シュレーディンガーの猫」っていう言葉は聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。量子論の摩訶不思議な世界を例えた比喩で使われています。

<エルヴィン・シュレーディンガー>

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真実の瞬間 SASサービス戦略はなぜ成功したか を読んで

真実の瞬間

 

真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

 

1980年代前半、市場成熟による顧客の頭打ちとともに赤字に陥ったスカンジナビア航空。

さらなる市場の成長が見込めない中、大胆な戦略を用い、たった一年で経営を再建した、ヤン・カールソン自らが、その見事な経営手腕を記した著作が本著。

1941年生まれで、ストックホルム経済大学を出たヤン・カールソンは、スウェーデン大手の旅行代理に入社。めきめきと業績をあげ、入社からわずか6年で社長に就任。

当初は、社長という立場のプレッシャーから、上からの指示を徹底し、部下に仕事をやらせる。全ての判断をトップが行うというような経営手腕だったらしい。しかし、同僚からの指摘や周囲からの批判、自己矛盾への葛藤を経て、目が覚める。大きなビジョンをもって社員の士気を高めながら、働きやすい環境をつくるという経営の仕方を学ぶ。自分を取り戻し、大胆な手腕を発揮するようになる。

カールソンの経営の特徴は、古来の組織経営とはことなり、社長が事業の主役ではなく、スタッフが主役であるという大きな方向転換をしたことだ。また、それとともに顧客への重要な接点であるサービスを最重視し、ターゲットを絞ったうえで、サービスの質を落とさず、必要な無い箇所はコストを徹底的に絞るという手法を身につける。

旅行会社をみごと黒字化したヤン・カールソンは、スカンジナビア航空の関連会社である国内航空会社の社長就任を依頼される。古い経営組織の中、旅行会社で培った経験を活かし、社員が主役の組織改革を打ち出す。

競争相手と思っていなかった鉄道や車を競合相手に設定し、「スウェーデンの空路を全て半額で」提供する、だれもがあっと驚く分かりやすいサービスを打ち出した。さらに、飛行機という移動手段を選んでもらうために、今までこなっていないような好戦的な広告も打った。鉄道会社との広告合戦などが行われ、これが話題になったことも寄与して、社内、社外ともに変革の意識を生み出し、みごとまったく別の航空会社へ変貌を遂げた

その手腕を買われ、スウェーデンの国際線を司るスカンジナビア航空への社長就任を受け、今までの手法をさらに徹底し、赤字に喘ぐ航空会社をわずか一年で黒字化する。

 

本著のタイトルである「真実の瞬間」とは、顧客がスタッフと接する平均15秒の瞬間のことだ。

そのたった15秒の経験を素晴らしい体験とするために、経営戦略を定め、ヒトモノカネといった全ての資源を集中し、直接接するサービススタッフへ権限を委譲するというように社内体制も改変した。

ただし、大勢いるサービススタッフが最高の15秒間を生み出すためには、明確なサービスコンセプト、目標、ビジョンが、全てのスタッフに理解されていなければならない。好き勝手な理想や判断にによるサービスは品質の低下を招く。

そこで、カールソンはまず、顧客をビジネス旅行者に絞った。実際に、顧客が頭打ちになっていた市場で、安定的に利用してくれ、普通料金を払ってくれるのはビジネス利用者だった。そのビジネス利用者にとって最高の航空会社になるという目標を掲げた。全てのサービスは、ビジネス利用者にとって素晴らしいものであるように設計すればよい。非常に簡潔だ。

ターゲットを明確に絞ったため、スタッフも理解しやすかった。その実現のため、現場のスタッフは、自らのアイデアで、機内食から作業の優先順位にいたる全ての作業根拠を顧客目線で検査し直した。

例えば、当時、飛行機は種類ごとに車庫にはいっており、翌日の出発に合わせて出し入れのしやすい箇所にとめていたが、そのことが原因で、顧客が乗り換え時に、かなりの距離を移動しなければならなかった。しかし、顧客が歩かなくても乗り換えが出きるように、車庫入れの仕方を変えた。

末端のサービススタッフが最上のサービスができるよう権限を委譲をするのはありがちである。しかし、それをうまく活かしている組織は少ない。なぜならそれは、非常に困難なことだからだ。的確なサービスが提供されるためには明確な目標とビジョン、サービスコンセプトがしっかりと、そして心から理解されていなければならない。

ヤン・カールソンがすごいのは、「理解させる力」だ。

ターゲットを絞ることで明確にする。そして、ビジネス旅行者にとっての最高のサービスを実現する、つまり世界の航空会社におけるビジネスマンからの評価ランキングでトップになるという分かりやすい目標を立てる。そのために、真実の瞬間を最高のものにするという力の入れどころを明確にする。その分かりやすいメッセージを、的確な言葉で伝える。

理解させるために様々な手段も尽くす。

誰が聞いても理解できるような単純明快な言葉を使い(高尚さや独創性はいらない)、徹底した社員との会話(スタッフが三人いると必ずカールソンが現れると言われていたらしい)、猿でも分かるようなレベルで書かれた冊子『果敢に挑戦しよう』の配布(大きな活字のマンガ)、メディアを使った喧伝(自分たちへのプレッシャーに利用した)、サービス開始時の過度な演出(搭乗の際に、音楽を流し、バラの花を顧客に渡した)、テーマソングの作成、自分が率先しておこなう、などなど。

ビジョンやコンセプト共有のためにあらゆる手段を尽くしている。こういう並々ならぬ努力と工夫を持ってして、はじめて従業員が目覚め、動き出すのだ。

自分の内面からくる動機で働き始める従業員は、会社の最も大切な資産になる。顧客に取って何が重要なのかを、従業員が自ら認識することができれば、サービスレベルは自ずと向上し続ける。ひとつひとつの仕事が、なぜ重要なのかという理由を理解した上で業務を行うことが、重要なのだ。

自分のした仕事の重要性がわかれば、活力とやる気がみなぎり、責任感も醸成される。また、それがいかに財務状況に反映され、自分の業績につながるかも明確にしておけば、仕事もやりやすくなる。カールソンはここまで理解させるまで、徹底して様々な手段を講じるのだ。

1982年12月、スカンジナビア航空の2万人の従業員の手元に一個の郵便小包がとどいた。開けてみると、小さな飛行機の形をした秒針をもつ美しい金側の腕時計が入っている。そして、どこの航空会社でも実施している従業員複利制度の一環である無料旅行の規定が緩和されたことを伝えるメモと、今度は『世紀の戦い』と題した2冊目の小さな赤い本、パーティへの招待状、それにスカンジナビア航空が最悪の経営状態から史上最高の黒字に転じたその年の従業員の業績に感謝する私の手紙が添えられていた。

小包みの中身はそれほど豪勢なものではなかったが、それを受け取った社員は心から喜んだ。多くの社員が次のような内容の感謝の手紙を送ってくれた。「いい年した大人が、郵便局で小包をもって立ち尽くしていました。うれしさのあまり涙がこぼれそうになっていたのです。自分お仕事に対して感謝のお手紙をいただいたのは、入社以来はじめてです。そして何よりも素晴らしいのは、自分がその贈り物に値する仕事をしたと感じたことです」

社員へのねぎらいまで、しっかりと演出され、主役は社員であるというメッセージが込められている。

「真実の瞬間」に全てを向け、経営再建をした手腕。徹底した顧客志向に基づいた選択と集中の技も素晴らしいが、最も感心したのは、このカールソンの「理解させる力」とそれに伴った素晴らしい「演出力」だ。スタッフも顧客も幸せにする演出が、実際には、もっともっとあったのだと思う。その積み重ねが経営再建を成り立たせたのだと思う。

大きな改革や挑戦的なキャンペーンの実施などの際には、社内外問わず、反対者が現れる。取締役や組合、メディアや社員などなど、カールソンはこれらの存在から目を背けることはせず、逆に、自らのやりたいことを理解してもらい、協力者に変えて、乗り越えてきた。その面でもカールソンの「理解させる力」はすごい。

ちなみに、今回の経営改革に伴う行き過ぎた経営資源の集中などの煽りと航空業界の規制緩和を受けて財政状況が悪化、さすがにそのときは、国の力も借りて復活したらしいです。いずれにせよ、短期間で組織を変えるには明確な目標とメッセージをもって、徹底した伝える努力、そして分かりやすい演出が大切である。それを立て続けに実行し、組織文化の改革を短期間で実現したカールソンは偉大である。

真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

<ヤン・カールソン>

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ブランド帝国LVMHを創った男 ベルナール・アルノー、語る を読んで

ベルナール・アルノー

ブランド帝国LVMHを創った男 ベルナール・アルノー、語る

今世紀最大のブランドコングロマリット、LVMHを築き上げたベルナール・アルノーのインタビュー本。10年前の本ですが、LVMHは、未だに拡大を続けているハイブランド業界のモンスター企業です。

最高位かつ安定したブランドを複数ジャンルで抱えるなんて羨ましいかぎり。今の時代、ブランド認知度でトップはアップルやグーグルだと思います。でも、趣向の多様化や個人の好みが重視される時代、LOUIS VITTONやドンペリのような、しっかりとした歴史があり、高い品質を維持し続けてきたという確固たる裏付けがあるのは、圧倒的にLVMHでしょう。アップルは、スティーブ・ジョブズがいい感じにブランド構築してきましたが、i phone 5cとかいう、ブランドイメージを食いつぶしてく方向に進みつつあります。

さらに、人々の趣向が多様化され、かつ常に新しい価値や美意識が求められるファッション業界のような特性をもった世界においては、そのようなブランドは今後生まれにくいのではないかとも思います。だからこそ、なおさら、既にブランドを築いてしまったものは、絶対的な安定した恩恵を受け続け、圧倒的に優位なポジションにいることができるという流れになると思います。圧倒的なトップブランドが一つあり、その下は小さいブランドが乱立し、生まれては消えていくという流れを繰り返すようなイメージです。

本書にもありますが、一度その優位なポジションを得てしまえば、安定して資金を得る事ができるので、新しいブランド開発や事業、試みにどんどん投資くることができ、常に業界を創造的に引っ張っていく事ができる。

小さい企業が先進的な試みを行いつづけるには、相当な資金体力が必要です。だけど、ファッション業界というものは、常に創造と破壊を繰り返していかなければ、生き残っていけない。ましてや、業界を引っ張っていく存在にはなれない。

ゆえに、最高位にポジションされているブランドリーダーだけが、永続的に創造と破壊を繰り返す事ができ、仮に創造的な価値を提供できるブランドやデザイナーが現れたとしても、一時の栄華に終わってしまう。創造し、自らを破壊するか、安定を求め陳腐化し、ゆっくりと滅んでいく事になる。

ブランド業界においては、ポジション優位をとることは死活問題なのです。それも圧倒的なナンバーワンを目指さなければならない。ナンバーワン以外は、敗者ともいえる。一度ナンバーワンになったら、安定です。人もナンバーワンに優秀な人材が集まってくる。

本書は、当時盛んだった、アルノー本人やLVMHにまつわる噂や誤解に、対応するため発表されたらしい。フランス人らしく、事業についての具体的な話はほぼされておらず、理念や思想、政治観、メセナ、ライフスタイルなど、思考の深さや人間性、活動の正当性や貢献性を問うような構成になっている。

もしかすると裏で本人以外の人にかなり加筆してもらっているのかもしれない。しかし、読んで現れてくる本人の印象は、真面目かつ実直。ブランドが持つ華やかさとは少し距離をもった、創造的な美を愛する真面目な理系人といったイメージだ。こんな人が、あのブランド帝国を支えているとは。ファッションブランドという創造と破壊を繰り返す世界で、ともすると振り回され、混沌の渦の中に落ちていってしまうような業界で、舵をとっていくには、こういう人こそ、適任なのかもしれない。

ブランド帝国LVMHを創った男 ベルナール・アルノー、語る

・理系で真面目に勉強しまくる。

・27歳から、一族経営の建築会社の社長となる。

・アメリカにて異なった企業文化を知る

・絶対的なブランドをもった、資金難で経営破綻寸前の企業をみつける。

・頼りになる銀行マンに、アメリカ時代の飯友達を介して出会う。事業を見込んでもらう。

・フランス時代がブランド産業を強化してくという風潮があった。

・金ではなく、ナンバーワンブランドを作り上げたい。

・ナンバーワンで居る事で、スタッフは常に上昇志向を持つ事になる。

・ブランド会社は経営難が多い、買収しやすい。

・創造性はマーケティングに優先する。創造性がブランドをブランドたらしめる。

・美や品質を愛する価値観を損なわないために、社会活動をする。会社のため。

・人は敏感に感じる。細かいところまで整合してなければならない。

・いい商品ありき、マーケはいい商品の後押しをするだけ。ダメな商品はマーケするだけ悪影響。

<ベルナール・アルノー>

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購入した本のご紹介など

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本日、近所のブックオフで単行本500円セールを実施するとのことで、前から欲しかった本を買いにいきました。狙っていた本は、5段階欲求説で有名なマズローの『人間性の心理学』と、シーナ・アイエンガーの『選択の科学』。前者は、定価が5000円以上して、ブックオフでも2500円ほどだったので、この機会に是非買いたいとおもっていたところ。

ただ、もしかすると、せどり狙いの人たちが買ってしまうかもとも思い、開店5分前に店に到着。しかし、既に8人程の行列が・・・。しかも、前のほうの4人は、入口の自動ドアに鼻をくっつけんばかりに近づき、待機している。そんなに近寄る必要ないだろうに・・・。自分の狙いの本は、価格人気ともに転売にうってつけの本なので、ゲットは無理かもなと思いつつ。開店を待つ。

肌寒くも日差しが気持ちいい中、大通り沿いの歩道にならぶこと5分程、店員さんが自動ドアのスイッチを空けるとともに、先頭に並んでいた4名がカゴをふんだくり全力疾走・・・(笑)。自分は、あきらめ半分ゆっくり単行本コーナーへ歩いていきました。

単行本コーナーにつくと、先ほどのオジサンたちが、ごっそりと棚から本を抜き取り、カゴの中へつめている。それを尻目に、自分はそそくさと心理学のコーナーへ。さらっと見てみると・・・、ない・・・。あ〜、先に取られちゃったかな、なんて一瞬思ったが、このエリアの本に手をつけられた形跡がない。もしや、と思い本棚の下の引き出し(ここも解放されていた)をみると、奥に、、、あった〜!!!!

いやー、あきらめかけていたところだったので、とても嬉しかったです。安心しながら、セドリのおじさん達の様子を見ていると、どうやら大型の専門書狙いの様子。たぶん、本自体の価値はあまりわかっていない模様。現に『人間性の心理学』や『影響力の武器』など転売したらいい金になるような古典的名著が手つかずで残っていた。

しかも、他のせどり狙いの人たち同士の競争心からか、あまり本のタイトルも見ないで、会計、財務、法律、マーケティング、サイエンスあたりの専門書を、ひたすらカゴに入れている。それも売れるかもしれないけれど、もっと売れる本ここにあるのになあと思いながら見ていた。もう一つの『選択の科学』は、見当たらず。そのエリアまわりの本がごっそりなくなっていた・・・。

しばらくすると、せどりオジサン達は、店内の別の場所にそれぞれが移って、カゴに入れた本を一つ一つ値踏みし、携帯でなにやらチェックしている。おそらく相場価格をみているのだろう。一冊ずつ、購入するものとしないもので分けていた。その作業を新書コーナーとか、そこら中ででやっちゃうから、他のお客さんの邪魔に、ものすごくなっている・・・。でも、自分は、その間に、他にいい本ないかなと、やっと、ゆっくり見る事ができた。

購入した本

人間性の心理学ーモチベーションとパーソナリティ

未解決事件(コールド・ケース)―死者の声を甦らせる者たち

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

ある広告人の告白[新版]

アイデアのヒント

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

ブランド帝国LVMHを創った男 ベルナール・アルノー、語る

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

しめて、4千円。ん〜、いい買い物ができた。

ちなみに、『選択の科学』は、せどりオジサンのカゴの中に入ってました。仕分けでハジかれる事もなく。くっそー、あんた読まないじゃん!って思ったけど、生活かかってるんだろうなとも思うと無下にできない。その場で『影響力の武器 第2版』(第1版は既読である)をもっていって、これの方が売れるし粗利あるから交換しませんか?と言おうとおもったけど。ヤメました。この本の価値が分かる人にプレゼントしようと思っています。

買った本は、読んだ順に紹介していきます。

それにしても、ブックオフのビジネスモデルって面白いですよね。一見小売りっぽいんですが、どちらかというと手数料ビジネスみたいな。誰に何度読まれた本であっても、買い取り価格が低くて、ある程度の品質なら売値が半額に固定なので、個別の商品に目を向けて手間ひまかけるよりは、回転重視で、本の売買の循環をひたすら追求するビジネスモデル。循環させることで利益を得る手数料ビジネスみたいなものですよね。

だから別に全て500円セールでも循環されればいいんでしょうが、もったいないのは、今回のような高くても売れる名著の場合だとセール価格は安すぎること。決まった少数品目に関しての適正価格の調整ぐらいは手間ひまかからない方法が考えられるし、もうちょっと売上げUPはできると思うんですけどね。だって、『人間性の心理学』なんて、2500円以上で売れるんですよ。まあ、その必要がないぐらいの規模感でビジネスしているのでしょうが。その手間ひまの隙間産業に群がる、せどりオジサンからしたら、本当に、ブックオフ様々でしょう。もうちょっと本を好きになって、色々と調べれば、もっと稼げると思います。

それにしても、ブックオフの500円セールは、予想以上に戦場でした。

今後、いい本があったらセール待たずに即買いします。怖いので。

尚、自分がもし、ブックオフにつとめていたら、せどりしてたかも。アルバイトの店員さんってそこらへんどうなんでしょうね。大学生とかだったら時間もあるし、できるよね。

<A.H. マズロー>

Unknown

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暗号解読 上巻 を読んで

暗号解読上巻

暗号解読 上巻

「暗号化」ほど、現代世界で重要な役割を果たしているものはないといってもいいのではないでしょうか。

ネットでクレジットカードを使って商品を買う。仕事で他社の人との商談をメールで行う。個人情報はネット上に多数登録されており、国の保有する情報も多くがストレージされている。多国間の金融システムもいまやバーチャルなやり取りで利益を生み出しています。

また、CIA元職員 エドワード・スノーデン氏が暴露した米国による盗聴が話題になっているように、情報ネットワークがこれほどまでに拡大し、国家主義が顔を見せ始めて著しい世界情勢の中、情報の保守はホットなテーマです。

本書では、暗号の成り立ちとそれを巡るドラマを、著者らしく、平易に、そして面白く語ってくれる。「不可能」と思われる暗号に挑戦し、わずかな手がかりから読み解いていくドラマは、思わず熱くなり、惹き込まれます。

アルファベットの「A」を「B」にする。みたいな最も基本的な暗号作成から、かの世界大戦で活躍したエニグマの完成、さらにその解読が成し遂げられるまで。この上巻では、複雑な暗号の成り立ちがとてもよくわかります。

そして、多くの人たちが圧倒的な努力と視点展開的な発想力をもって、圧倒的な闇の中からわずかな光を見つけ出し、みごとに暗号を紐解いていきます。複雑になっていく暗号に対して、最初は言語学者が主役だった解読も、数学者の手に渡っていく。作成方法も、紙面上で人間が手作業で作成するところから、三次元のマシンにより短時間かつより複雑なものに変わってくる。

そこには人間ドラマもあり、命をかけた情報戦の巧妙な駆け引きもあり、ビジネス的なイノベーションも見え隠れしています。

本著を読んで思うのは、「国家間」や「国家と個人間」での盗聴、情報戦というものは、歴史上、つねに行われてきていること。戦争においても、軍事技術力や指導者の判断力、資源の豊富さという要因もありますが、裏では情報戦を優位に進めるものが歴史を制してきたといっても過言ではないでしょう。

勝利の要は、情報であるというのは、いつの時代も変わりません。だからこそ、暗号化の技術が世界を制するうえで最も大切であり、全てを優先して国の最高機密とされるのです。さらにいうと情報収集ができないということは、イコール、国としての役割を果たせていないということでしょう。いくら軍事力を増強しても無駄です。だから普通の国は諜報機関がしっかりと各国の情報を盗みまくっています。国だけでなく、企業単位でも諜報活動が行われているぐらいです。

今回のアメリカの盗聴問題についても、ドイツやフランスを始め各国は、表面上、非難をしてますが、正直いうとみんなもやってるよね、というのが本音だと思います。非難の意図のひとつとしては、アメリカの地位低下を図るため。国際世論を通して公然と非難するための口実にすぎないんだと思います。

さらに、どの国がどの国に対して、どれほどの情報をもっているかは、絶対に表に出てきません。自国の情報優位がバレると、相手国の暗号化対策が進み、今得られている情報さえも得ることができなくなるからです。本当は、盗聴されていることを気づいていても、気づかない振りしているのがベストなのです。

スノーデン氏の内部告発のような出来事があると世論も騒ぎ始めるので、普通は触れたくない自国の諜報活動や対策の話についても、触れざるを得ない、なにかしら説明しなくてはいけなくなります。そうなると取る手段はひとつ。「こっちは盗聴されていると気づいてませんでした、盗聴するなんて許せない」というしかありません。国民からするとなんとなさけない、たよりない国だ!と非難したくなる気持ちもあるのですが、そのように説明するしかないのです。実際は、筒抜けで全て把握していたとしてもです。

情報戦は常にベールの内側でなされ、多くの人が事実を知る頃には数世代遅れの様相になっています。暗号化技術も、つねに進化しながら、裏舞台では、すさまじい情報戦、暗号合戦が、依然として、今まで通り、現在も繰り広げられていることは変わりはありあません。日本は、無邪気なので。。。

現代ではひとりの人間がどんな暗号も解き崩し、機密情報を得るということも不可能ではありません。第3次世界大戦は情報戦になるといわれる現代。暗号化の技術はそれほど、重要なテーマなのです。国家間のみならず、暗号化する側と解読する側の競争は熾烈を極めています。

個人の生活にとっても、安全とプライバシーのせめぎ合いが問題となる情報ネットワーク社会にいきる我々にとって、暗号というものについて知ることは、国家や一部の天才や暗号解読マニアのものだけにできなくなってきています。

いままでも、そして今後より一層、世界情勢を裏で左右する「暗号」について知ることは、現代人必須の教養といえるとおもいます。

それにしても、著者のサイモン・シンさんは、難しいことを分かりやすく、そして面白く語る事のできるすごい才能をもってるなと感心。青木薫さんの訳も非常に読みやすいです。面白かった!

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暗号解読 上巻

暗号解読 下巻

<サイモン・シン>

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